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スペイン・アンダルシアの田舎暮らし

オリーブ畑に囲まれたプチ・ペンション経営 - スローライフ紹介

スペインで初出産体験記 その1

あきらめる、ギブアップ、という言葉は自分の辞書にはないと思っていました。でも5年も子供ができないとなると大きな高い壁に突き当たり、あきらめる、という言葉を真剣に考慮しなければならなくなりました。

子宮内膜症もちなので、数年かけてあらゆる検査、治療、手術など何度もした経験があります。そのつどずいぶん期待は高まりました。それでも妊娠しない私に医者は、不妊治療の体外受精の方法を考えたほうがいいかもしれないですね、とつぶやきました。これについて医学上の情報を召集したり主人と長々話し合いをしましたが、否定的、悲観的な問題も多いので結局あきらめることにしました。自然に起こらない出来事には科学では証明できない何かの理由があるのだと、悲しみながらも自分の心に言い聞かせていました。あきらめる、というか一度すっかりこの問題を頭や体から取り除く、ということでしょうか。

これがきっかけでスペイン移住の計画を進め始めたのです。おかげで自分のエネルギーや情熱をこのプロジェクトのための研究や計画の方にうまく費やすことができました。こうなると時計の動きははやくなるものですね。おかげさまでこの計画をはじめてから2年半後の2004年11月に長男のかいが生まれました!

この様にブログに書いてみると本当にあっという間に感じられますね。でも実際の状況は出産までばたばたでした。。。

まず、妊娠を確認したころはすでに2003年の3月で、プチペンションオープンを目標に改築の工事ははかどっていました。あとはどこで出産をするかが大の問題となりました。私の日本人の友人の義理のイギリス人の娘が、スペインのマラガにあるお産婆さん学校で講師をしていたのですぐに連絡を取りました。すると彼女は、“まき、もし自然派のお産を望んでいるのだったらスペインで出産しないでイギリスでしなさい。スペインは薬漬けよ”とのアドバイス。薬漬けってどういうことなんでしょうか、ひやひやしました。

よく話を聞いてみると、例えばイギリスでは分娩する女性の権利が尊重されている国なので、その女性が希望する分娩方法や痛み止め方法を選択できる(医学上問題でない限り)のが通常です。だから、硬膜外麻酔などの無痛分娩法を希望する女性は案外少ないようです。お産婆さんもあまり推薦しないようですね。イギリスの病院では酸素と笑気ガスの混合のエントノックスガスが準備されていて、大半の女性はこの痛み止めだけを希望するケースが多いようです。

その後、ちょっと心配になった私は、彼女の知り合いで自宅出産を手伝う助産師がマラガにいらっしゃるというので、このオプションも考えました。さっそく連絡してみると、費用が高いだけでなく、デメリットも多く逆にもっと心配になってきました。その上、この助産師の方はすでに近々リタイヤされるところだったので、タイミングも悪かったようです。。。

スペインに住むオランダ人の友人が私よりちょうど2ヶ月くらい早く妊娠を確認していたので、今度は彼女に相談しました。でも彼女はプライベートの健康保険に長年積み立てていたので、プライベートの病院で安く出産できるそう。私の場合はイギリスの健康保険、プライベートと公共の両方に長年払い込んでいましたが、イギリスでお産をしない限りこちらは使えないということ。だから、やはりスペイン移住前にイギリスでお産をするのが一番納得できる回答だったのでしょう。

でも主人は、イギリスでの出産に大反対。スペインの家を購入するためにイギリスで持っていた家はすでに売り払っていたことと、改築工事をしている間の短期間(これが予定よりずいぶん延期。。。)は姉のところへ居候していたので、精神的に落ちつかなかったのでしょう。確かに自分の持ち家ではないところに、生まれたばかりの赤ん坊をつれてくるのは家族とはいえ迷惑ですしね。それに、主人はさっさとスペインに出発しないと、子供が生まれてからの状況や環境が変化すること恐れ、そして何よりも居候しているのが居心地がよくなってしまうのが心配だったのでしょうね。

愛ペルシャ猫、黒のラムシスと白のアイシス、そして、愛犬のポーランド・ローランド・シープドッグのカズースの合計3匹のペットのペットパスポートを準備し、自分たちの引越し荷物郵送を手配し、ペットの輸送を手配し、最後に片道の航空券の予約。。。

英国人と結婚していてもヨーロッパ人でない私日本人がスペインに移住するには法的な規制がありました。でも私たちのようにスペインに家を購入したという行為は投資と認められ、また小さな会社を設立したので基本的には問題はありませんでした。ただ、移住条件でスペインに入国するときには、入国前に移住ビザというものを取得しなければいけません。これが基本的には単純なプロセスなのですが、相手はスペインのお役所。ルール通りに申請しても予定より3倍の時間がかかってしまいました。その間に私は妊娠30週目。移住ビザをいただいたきイギリスを出発するときはすでに32週目。危ないところでした。

2004年9月16日、午後2時。主人と私、おなかの息子、猫2匹、犬1匹の皆で無事にマラガ空港に到着しました。疲れた。。。
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スペイン移住決心 その2

どんぐりの木の家

私は旅行の大ファンです。違う土地に行って違う空気を吸ったり、違う景色を観察したりその土地の人たちと触れ合うのが好きです。学生のころから世界各国貧乏旅行に行きましたし、就職してからも主人と一緒にあまり観光客が行かないような土地、特に離れ小島の島国や国を探してあちこち訪ねるという経験持ちです。病気みたいなものですから、ひとつの場所にじっとしているとむずむずしてくるんですね。

もしかしたら子供ができないかもしれないという悪運が、英国から太陽の大地スペインに移住して夫婦二人で一緒にできるサービス業のビジネスをはじめよう、という夢に広がっていきました。
なぜスペインに選択したかというと、①ロジスティック-私たち二人とも家族との絆が英国にあるので南ヨーロッパは便利である、②語学の便-私は(大きい声では言えませんが)英国の大学でスペイン語を専攻していたので、新しい外国語を勉強しなくてもよいこと、③英国より物価、住宅価格が割安、ビジネスの設立コストも英国より割安、④食材の品質、特に魚介類の新鮮さが素晴らしい、スペイン産のオリーブオイルは世界一、なので食いしん坊の私たちにはぴったり、⑤広大な自然、多彩な歴史、興味深いスペイン文化が魅力的。

移住の決心をした後は、リサーチ、リサーチ、リサーチ。次は大きなのポイントとなるが、お得意の物件探し。英国永住中も国内で何度か引越しをしています。不動産が一番激しく動いているときに何度もうまく波に乗りました。古めの家安く購入して、自分たちでDIYしたりプロの大工さんの友人に修理してもらいました。色々自分たちで手をかけるのが根本的に好きです。古い家の持つ味っていうのは、なかなかモダンな家からは得ることができないものです。

リサーチやロケーションの下見旅行などを終えた後、アンダルシアの田舎にある古いオリーブ農家を購入し、2年半ほどの時間をかけてプチ・ペンションに改築しました。ゲストルーム合計4部屋、全室バスルーム付の小さなアットホームなペンションです。

私たちのプチ・ペンションは、イズナハール(Iznajar)という典型的なアンダルシアの白い村はコルドバ県の南地方に位置します。ここを選んだ理由は、きれいな湖に近いこと、マラガ、コルドバ、グラナダの三角地点のちょうど真ん中にあるので、観光の便がよい事。それから、田舎なのにもかかわらず、最寄のマラガ、又はグラナダ空港から車で1時間の距離。ロケーションをまず第一の条件として重視しました。場所が決まったら好きな家を探すだけ。家を選択するときも条件がはっきりと決まっていたので、4件見てすぐ決まりました。半分あきらめていましたが、やはり子供がほしかったので、もしも、のことを考えて小学校が近くにあるということも条件のひとつでした。

エコロジーの問題もありますし、太陽電池などのグリーン・エネルギーの設備を備えました。ところが問題はプールです。日本の気候と異なり湿気のないドライな暑さですが、プールがノルマになるほど夏のアンダルシアは暑くなります。だからプールの設備がないホテルやペンションなんてアンダルシアには存在しません。でも環境問題のことを考えるとプールの建設は無責任な行為だったしょうか。

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スペイン移住決心 その1

スペインに移住しようと決心したことにはいくつか理由があります。

①ロンドン在住のころは毎日朝の5時から夜の10時ころまでオフィスにいました。接待なんかあると夜中までお付き合いして、家に帰って2時間寝たらまた目覚めなければいけないような日がよくありました。目の下にくまができて、寝不足で頭がぼー。。。お化粧で顔色の悪さを隠して、エスプレッソのカフェインパワーで一日を乗り越えたような日が多くありました。
ロンドンの金融業界生活6年目、体はぼろぼろ、心ふたふた、頭はくらくら。ある12月のクリスマス前の朝の5時、毎日のようにタクシーの出迎えが家にやってきて玄関を出ようとした時、主人が先に玄関のドアを開け入ってきました。コック長の主人はこのころ毎日クリスマス・パーティーの主催で通常より帰りが遅く、おはよう、久しぶりだけど元気?とお互いに声を掛け合ったこの朝、私たちはこの夫婦生活はちょっと普通ではない、と感じました。朝早い私、夜遅い主人、同じ家に住んでいても一緒に時間を過ごせない日が2週間続いたりしました。はっとしたわけです。
その1年後、イギリスの田舎へ移りました。

②ロンドンからコーンウォールという南西イングランド地方に引っ越し、静かで海の近い小さな港町の近くに家を買い、田舎でのんびり子供を育てよう、なんて思っていました。海が真っ青で空気がよくても、外は雨、霧、風。。。寒いのが苦手な私たちはどんよりと暗い空を見ていると太陽がとても恋しく、暖かい国に住みたくなったのです。スペインへ移住しようと考え始めたのは、イギリスの悪天候が大きな理由です。

③私も主人も子供が大好きです。子供の純粋さ、子供の考え方や想像力が私の心を暖かく、未来を明るく、生活を楽しませてくれような気がします。4つ上の姉は息子二人、娘一人の三人の子持ちです。長男がまだ赤ちゃんだったころは私も大学生でしたから、かわいい甥に会うために週末は姉のところによく行きました。初の甥子って想像以上にかわいかったのです。オムツ替えたり、ご飯を作ったり、寝かせつけたり。
コーンウォールの田舎で子供をのんびり育てたいと思っていましたが、3年の月日が経っても子供ができませんでした。医者に通い検査や治療をそして手術(子宮内膜症の)を2回もしましたが、x。つらい、悲しい、言葉では表現できない複雑な心境でしたが、自分の半分はしょうがない、というあきらめの気持ちでいっぱいでした。結局これがきっかけになったのです。子供ができないなら誰かの従業人になるのはもう散々だから、太陽の輝く暖かい国で自分たちのビジネスをはじめよう、と。ちょっと単純ですが真剣な気持ちでした。

まず日本からイギリスへ

ちょうど今日から24年前の1986年、私は家族4人で英国へ移りましました。ちょうど高校1年生を終了し高2の新学期がはじまるころでした。大学教授の父が英国の大学へ2年も研究留学するというので、未成年の私は両親と姉と一緒に英国へ渡るはめになったのです。外国に2年も暮らす、というイメージは英語の苦手な高校生の私にとってもピンクのばら色でした。
大勢の友人たちが成田空港に来てくれて、みんにもらった大きな花束を持ちながらかっこよく手を振って飛行機内に乗った直後のこと、飛行機のエンジントラブルでその日は飛べず空港内のホテルへで一泊。結局翌日の一日遅れでしたが、エアロフロート・ロシア航空の超格安チケットで家族4人で成田を飛び立ちました。
その日以来私は、日本には観光客としてしか帰国していません。。。

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プロフィール

村串マイテ

Author:村串マイテ
My AndaluciaFC2ブログへようこそ!
私、海外永住暦25年。人生の半分以上を日本国外で過ごす、まさしく浦島花子。日本からイギリスへ、イギリスからスペインへ。それもなんでまたこんな田舎のアンダルシアでプチ・ペンションなんか経営しているのでしょう。そうなんです、私はストレス、プレッシャーの多いロンドン金融業界から足を洗い、プロのシェフの主人と二人で一緒に情熱を持ってできる新しい道を切り開こうという夢が種となってふくらんだのです。
畑を自分たちの手で肥やして大事に大事に無機農薬・オーガニック方法で育てたトマトは真っ赤で丸々。ピーマンもナスも少しへんてこな見かけですが、味がとても濃い。5歳の息子もおなかがすくと畑へ行って、赤々したチェリートマトをもぎってその場でせっせと食べています。
スローライフって体にも心にもいいですね。おかしな日常生活のエッセイ、スペイン料理のレシピー、のんびり子育ての話、日本・スペイン文化の比較など豊富な課題を掲載させていただこうと思います。是非私のブログを読んで下さい。

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